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やまんば

Author:やまんば
血液型    A型
星座     ふたご座
好きな食べ物 そば、こんにゃく、
        くコ:彡、C:。ミ、グミ
*娘に勧められて始めたブログ
なんのことやら分らんままに…。
二人三脚でとにかくやってみよう。

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とり2・・・こいわし
これも小1の頃じゃった。
 寒い小雪がチラチラ舞うような日に、「ナマンショー!ナマンショー! なまんしょうは、要りめんかぁ。」しわがれたオッサンのの呼び声がする。

外に出てみると、頬被りのオッサンさんが、小イワシを天秤棒で担いで、百米ぐらいも先をヒョイ、ヒョイと行きよる。

「はよ駆けって行ってこいや」おばあさんは、竹かごに手の付いたものを私に持たせて、銭を握らすと、急かせてじゃった。

わたしは、走りにゃ自信がない。いや自信どころか運動会の徒競走は、四人組なら四番目、六人なら六番目つまりビリばっかりじゃった。それにようこける。そいでもおばあさんよりゃ、だいぶましじゃった。

「オッちゃんよう、待ってつかいやぁ、なまんしょうが要るんじゃけぇ!」
足じゃ負けても声にゃあ負けん。大声で何べんもおらぶと、天秤棒を下ろして待ってくれんさった。

「なんぼう要るんの?」おじさんは竿秤を出して、秤にかける。わたしはなんぼう要るんか解からん。息が切れてものも云えんし、・・・解からんし・・・

「うん?なんぼうの、銭うもっとろうがい、見せてみんさいの」

わたしは握った手を広げて銭を見せる。

「おりゃ、えっと持っとってじゃの、ほいじゃあ三百匁じゃの」

おじさんは、秤から竹かごへ移しながらニコニコ顔で、わたしの名を尋ねる。

「あんたあ、どう云うてんかいの?」

「アシタ」わたしは無愛想な子じゃった。今も・・・。

「お~お~アシタさんの!おばあさんにヨロシュウ云うて、つかぁさいや」

おじさんは、ニコニコ顔でわたしに会釈すると、また天秤棒をかついで、ナマンショーと大声張って行きんさった。

 わたしの竹かごはちいと重たうなった。

わたしも、なまんしょうを、えっと持っとるんでと思うたら、つい真似がしとうなった。

「ナマンショーナマンショーなまんしょうは、要りまへんかぁ・・・」

おばあさんは外に立って、わたしの帰りを待っとっちゃった。

「まあ、わりゃ、なにゅう、おらびよるんなら、ふうたれの悪りい、なんでもかんでも真似のしたいことよのう、よいよ、誰に似たんかいのう、ケンは(私の父)あがいにゃ無かったにのう・・・」


わたしは調子ずいて、ええ気分じゃったのに怒られて、おじさんからの、よろしゅうを忘れてしもうた。

「ほいで、重たげなが、なんぼうもろうてきたんかいの。」

おばあさんは竹かごを、覗くとまたまた大きな声で怒る。

「ありゃまあ、どう云うことかいのう、仰山なことをしてからに。」

「ほいでも、なんぼうか云わんじゃった。」

「云わいでも、人数云やあ、わかろうがい、こがいに仰山どうすりゃあ、喰われもせんのに。」

おばあさんは、自分が慌ててから云い忘れたのに、わたしを怒る。

「それそれ、そうじゃ、焼いとこうのぉ、七輪に火うおこせぇや。」

わたしはおばあさんの手伝いを、ようしたもんじゃった。

「ひろぅやん、ちとてごうせぇや」と声がかかるといつも用事がまっとった。


七輪に焼き網をのせて、小イワシを並べて焼くんは面倒くさいし、忙しい。
「餅はほいとに焼かせ、魚は殿さんに焼かせ」云うてもこの小イワシは、餅よりせわしい。不器用なわたしは、まっ黒けになったり、網の目から落したりで気がもめる。
またしても怒られてばっかりの、ひろぅやんじゃった。


 何ぼ焼いても焼いてもはかどらん。竹かごの中にゃ、まだまだあるけえどうしょうかい。
おばあさんは器用に小イワシの頭と、どぶと、骨を取ってじゃった。それを熱いご飯にのせて、醤油をちいとかけて食べるんが好きじゃった。


「んまぁ、美味いのぉ、鯛の味、鯛の味!」云うてご満悦じゃった。

わたしは竹かごを覗き、覗き考える。
「おお、そうじゃ鶏にやろう。」

わたしは一掴みほど鶏小屋へ持っていくと、餌ばこへ投げ込んだ。鶏は大喜びでコココー、コッケコーッ、ケーケケケと、けたたましい鳴声で、喧嘩まじりの、奪い合いを演じる。

わたしは彼女らが喜ぶのと、自分の仕事が減ったのとで、何か良いことをしたように、嬉しうて満足じゃった。


「小イワシが玉子になるんじゃけぇ」と自分で納得しとった。


ところが魔は天界に住むんじゃげな。


「馬鹿たれーっ!、なにゅうしよるんならっ!、ふんまに、まぁ、馬鹿ちゅても、馬鹿ちゅうても、ほんにわりゃあ、どもこもならん馬鹿じゃのぉ、ひろぅやんっ!」

おばあさんが小イワシのアラを鶏にやるために、そこへ現れたというわけじゃった.。


 わたしはそうして、怒られ、怒られ大きうなった。


あのころ
太平洋戦争が怪しうなると、鶏の餌も無うなって、いつの間にか居らんようになった。
(鍋に入ったり、よそへいったり・・・)

わたしらはいつも腹がへって、ひもじゅうてならん。糠を焙烙(ほうろく)で煎って、古新聞に包んで舐めたりした。

古新聞も貴重品で、町の(市内)の伯父が自転車で運んできた。その伯父もピカドンで死んで、家族とおばあさんを悲嘆にくれさせた。

どっこの家でも、あんにが死んだ、こんにも死んだの話ばっかり、葬式もできなんだ。


終戦になった。伯父や従姉妹や、親類のあれこれが原爆で死んだのに、召集されて満州から台湾にいっとった父は、マラリヤを患いながらも、復員してきた。翌年の二月だった。

叔父も肺を病んで、復員していた。

 大伯父は足を大火傷して、(半ズボンで膝から下)家も無うなって転がり込んで来た。

従兄弟のススムさんは、肺を病んで復員してきたが、秋の名月の頃、核血の血がのどに詰まって、たった一人で死んでしもうて、おばあさんを大いに怒らせ、悲しませた。


(ススムさんの家に、ピカドンで死んだ伯父の家族が疎開しとって、結核がうつる云うて隣村の隔離所にいれとった。)


「あがいなとこえ、入れぇでもえかろうに、酷いことをしてからにのう」


おばあさんは、憤懣やるかたないようすで、伯母を怒りつけてじゃった。

末息子を失うて、黙して一言もない伯母が気の毒じゃった。

おばあさんは、あんにも、いとうしい、こんにも、酷いと云うちゃぁ、訪ねて来る人来る人に、食べ物をわけてじゃったけえ、我が家はひどう困った。ほんと何をたべよったんじゃろ。

おばあさんの知恵袋で、わたしは、川や山で何でも採ってきた。

ことにクレソンは繁茂するけえ、大助かりじゃった。

そうこうするうちに、畠も田んぼもちいとづつようなってきた。



(平和はええのぅ、竹やり訓練もなし、防火訓練も無うなった。あんとな馬鹿げなことを本気でしよったんか、まるで夢のようじゃ)と畑仕事の一休みに、青い空をゆっくり流れる雲を、いつまでもいつまでもボンヤリ眺めよった。(私は、これが好きじゃぁ、今も)
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エッセイ | 17:53:22 | Trackback(0) | Comments(0)
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